檸檬の木を植えたい

そこらの25歳のにっきです

知らないおじいちゃんが話かけてきた

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初夏の出来事。よくおじいちゃん、おばあちゃんに声かけられるけど、この時は少し違った。

 

 

 

その日、私は途方に暮れていました。

どう生きていけば良いのかわからず。

というよりも、生きていて良いのか悩んで。

 

 

 

恥ずかしながら私、5月には仕事がありませんでした。

 

常に闘っていた症状があり、それが発端で退職(後に障害と判明して驚愕)

だいすきだった職場や担当の方(派遣でした)へは特に迷惑をかけたこと。

そして今後も働くには、職種を変えていかなければならないこと。

紙で伝わる私は、ポンコツな人材であること。先が見えないこと。

それ以外にも、たくさんの悩みに押しつぶされそうで苦しくなった私は、

公園へ出かけました。

 

 

広い公園で、水辺があって、木もたくさんあります。

その時間だけは何もかも忘れたかった私は、屋根のあるベンチに腰を掛けて、風を浴びて、きらきら光る水面を見つめていました。逃げたかった。とりあえず無になりたかった。

 

そのうちポケットからスマホを取り出し恋愛ゲームアプリをはじめました。なにやってんでしょうね。無はどこへいった。一人ベンチで佇んでいたら、少し寂しくなっちゃって。ちなみに彼氏と別れてからずっとプレイしています(どうでもいい)

 

 

いま、誰かに相談したい。

 

知らない誰かに、思いっきり、全てを。

 

いったい誰に?

 

 

いるじゃないか、

その画面の先に。スマホをじっと見つめる私。

一方で優秀な理性も働く私。

此処は公園だ。

 

 

 

そんな危ういメンタル状態な私の足元に突如、

うるうる瞳の眩いのダックスフンドが現れました。ハッとなったときには、

後からラジオを鳴らしたおじいちゃんもやってきました。わんこかわいい。よくみるとおじいちゃんもかわいい。どっちもつぶらな瞳してる。

一言あいさつを交わすとおじいちゃん、隣に座りました。真横である。

 

 

 

なんだこのタイミングは。

もしかして私は勇気を出せば、このおじいちゃんに話を聞いてもらえるのではないか。

 

 

 

 

おじいちゃん、私、今、この世界において価値なし人間のように思えて苦しいんです。

 

 

働きたいんです。書類上に浮かぶ私なんて、いい意味で裏切ってやります。

 

でも紙じゃ私、ポンコツなんです。

自分に価値が見当たらないんです。生きてていいのかわからないんです。

 

 

 

結論から述べますと私の話は何一つしませんでした。なんかね、マシンガントークおじいちゃんでして、次から次へと繰り広げられるお話に、うんうんとひたすら頷いてました。隣のわんこのこととか、お孫さんの活躍のこととか、相撲のこととか色々。

1時間くらい。

 

そりゃお日様も退勤準備しはじめるよね。

 

お孫さんの活躍を、聞いたときは私、落胆しました。やっぱり私、価値ないなって。なんで生きてるんだろって。もうやだなって。

 

 

 

ただ最後の最後におじいちゃん、

去りながら言いました。

 

「生きなさいよ。生きてれば良いこと、きっとあるから。」

 

 

 

 

…私自身のこと、何も話してなかったのに。

おじいちゃんありがとう。

自分にできること、模索しながら、どうにか生きてるよ。

 

 

また暑くなってきたけど

おじいちゃんもどうかお元気で。わんこも元気でね。